おしらせ

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2019年2月

土をぬらす睦月晦日の雨脚はつめたいながらもその雨音はやわらかくしずかで、池の水面やそこに浮かぶ渡り鳥や岸部の枯れ葭にはまるで気づかれることもないように、あたたかな手のひらでなでてすべてのものを寝かしつける誰かの想いのように「降る」と呼ぶよりは「降りつむ」ように景色を冬のおわりの光景へと静かにかえてゆくかに眺められるのだけれど、払暁の野良猫の恋鳴きや、陽あたりのよい斜面に咲きはじめた草花のしっかりと張った針金みたいな茎の感触や、どこでやら初午を知らせる鉦太鼓の音や、くしゃみした誰かの顔みたいに咲ききった梅の花やら、散らかして叱られた双子の玩具箱みたいなスーパーの菓子売り場を眺めていたりすると、意外にも春の訪れというのは賑やかなものであって、節分まえの暗く煮こごって眠ったままのあたまとからだを強制的に目覚めさせるために布団をひきはがす誰かの手のひらのようにも思われる年の初めの最初のおわり。 鬼はそと 福はうち。 以下 お知らせひとつ。

●『花の会・2月』 2月23(土)・24(日)
1月は寒かった。けれども2月は と、春色リップでお待ちしていますが暖かくしてお出かけ下さい。 末筆ながら今年もよろしくお願いいたします。

あちらやこちらで、たくさんの方々にお会いできますように。

坂村不在庵拝。

2019年1月

冬の朝の空はかたく澄明に晴れわたっていて硬度と重さのあるなにかにふれたときの実感が布団のなかの体内にはたしかにあり、それでもほかの季節、たとえば秋や春の朝にかんじられる体温と室温と感情とが蕎麦掻きのようにない混ぜになって胃の府でベタつくようなものがないからだろうか、早暁のどこかで鳴くアケガラスや庭で騒ぐツグミの声は新学期の黒板みたいな空にかたい鉛筆で引っ掻いて書いた未完成な物理学の定理か作曲中の短い音譜のように体内にキリキリと立ち上がってくるようで、なにかこうしてはおられない気分に駆られてついつい早起きをして、からだを雑木林にはこんでしまう。
山道の入り口には今年は南天の実がわっさりとたわわで、ひとのあまり通らない斜面、まだ踏んだことのない路ばかりをえらんで歩いていると至るところに昨夜の鹿や猪の匂いと痕跡があり、ふだん花屋で見るとうんざりしてしまうはずの千両の野生の群れにのウブさに目をみはり、朝日をうける檜に粛然とした気持ちになったり、なによりも一帯を覆い散り敷く山茶花と桐や曙杉の落葉の色彩と香気のあれやこれやらは声なき自然の絶唱であって、今朝も、やはり山は、でした。ワタシマケマシタワ。以下、お知らせひとつ。

●『花の会・1月』
1月26(土)・27(日)。
暖かくしてお出かけください。

〇年末年始は、通常営業しています。埃っぽい街とくだらないテレビに飽きたらおはこび下さい。

今年もいろいろな場所でたくさんの方々にお会いできますよう に。
坂村不在庵 拝。


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