おしらせ

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2019年6月

たくさんの樹々が息をふかく吸いこんで吐きだしてして日々にそれぞれの緑をふかく濃くその色合いをかえてゆく山路は濃淡もなくした緑陰が小暗いひとつの大きなひとつのいきもののように背をまるめてその巨体を横たえて眠りについているように眺められるようであるので、そのせいか別の理由からなのか深夜に帰宅するときや真夜中に酒瓶の口をきるときみたいな頼まれてもいない慎重さの足どりでズボンのすそをすこしからげて携帯電話をマナーモードにして掏摸師が駅にむかう姿勢でいつもの山にはいる。
梅雨入りまえのひっそりとよこたわる森は名前のわからない雑木の微細な落花が散りしいていて、あたりに近づくときまって樹上では姿はみえない蜂たちの羽音が弦をはじくような低音でひびきわたっており、むこうの竹藪では発育不良の竹が癇癪玉を破裂させたような音をひびかせて割れているようであったり、ときおりあちらの沼地から泥酔者のいびきみたいなフイゴの音が響いてくるのはウシガエルの存在証明だったりするものの、この時季の山はやはり何やらひっそりと目をひらいたままで寝息もたてることなく眠っている手足のない巨人のよう。梢も下草も繁るものは茂りきって陽のひかりを吸いきって見わたすかぎりに繁茂してあたりは暗いばかりとこわいくらいに眺められるものの、それでも例年よりも永くつづいているように感じられる今年の乾いて明るい晴天の朝日がつくる山路の斜面に射すときおりの木洩れ日がドライマティーニのビターズの一滴や聖堂のステンドグラスのきらめきやらのように感じ入らされるので、それならば人知れぬ山奥の棄てられたような早朝の聖堂でドライマティーニを飲んでみたらさぞや とか想いをめぐらせてビーサンで下る山道。

ものの音 木下闇まで 来て消える    とか。
以下、お知らせふたつ。
●『花の会・6月』
6月29(土)、30(日)。
今年も半分。夏越しの祓えと山開き。
雨の茶室もまた佳し。お待ちしています。

●『熊本日日新聞』
連載二回目は24日(月)予定ですなり。
県外の皆さまにおかれましては気になさらず。

●『花のライブ』
ちょっと先の話ですが、10月に予定しているお知らせふたつ。

①10月19(土)。
ジャズの坂田明さん、バイオリンの勝井裕二さんの即興演奏にあわせて、坂村が花をライブでいけます。
②10月20(日)。
コンテンポラリーダンスの山田せつ子さんのダンスと、坂村の花の、こちらも即興ライブです。

大御所かつベテランの、そして尊敬する御三方との趣向を異にした、大音響と無音の2日間。
詳細は決まりしだい更新しますので、まずはスケジュール帳にご記入下さいまし。

坂村不在庵拝。

2019年5月

句読点のない文章みたいに昼夜ふりつづく足のながい春らしい雨音に、4月のおしまいのいつもの山々は蛙の声も竹の落ち葉も猪のつくったけもの道も楠のやわらかな若葉も茶庭の苔もつくばいも膨らみはじめた梅の実も渡り鳥の去った池の水面も深いふかい緑に濡れた暗いばかりの誰かの瞳のような陰のなかにしずかに吸いこまれてしまったようにくらく溶けてしまうので、見なれたはずの山をあるくにも記憶のない夢のなかを目隠しでゆくように不安でしかたがなくて、それでもしばらくして下山した明るいこれまたいつもの市街で眺めるビーサン履きのよごれた自分の足指や往来のはげしい街路樹のつつじの花とか路地裏の草イチゴの実のある意味で好ましい俗な赤い色彩だとか新生活に慣れはじめて自転車の運転が雑になった学生の群れなんかがあたたかな雨中の空気のなかで春のおわりをつげているようで、あるかなきかの精神のどういう作用によるのだか連想の結果なのやら今夜は厚く切った鰹を辛子で食べたいな熱燗は初夏の暮れ方にこそ飲みたいなとあたまの食指をうごかす明日は皐月五月。

以下、お知らせ2つ。
●『花の会・5月』
5月25(土)、26(日)。さてさて。

●『熊本日日新聞・連載』
5月20(月)より、「くらし欄」にて月一連載がはじまります。
タイトルは「知春草生」(春草ノ生ズルヲ知ル)。
震災から三年が経ち、いまだ悩ましい復興途上の中ですが、季節が巡り春を迎えるたびに自然は変わらずに新しい命を芽吹いてゆく、というくらいの気持ちですなり。
熊本のみなさまご購読よろしくお願いします。県外のみなさまにおかれましては気になさらず。

散るものは散りおわり生じるものばかりに目をうばわれる季節。
カイゲンで変わるのは風邪の初期症状ばかりなり。

年々去来ノ花ヲ忘ルルベカラズ   とか。

          不在庵拝。

2019年4月

新元号が決まったそうで、しかし世の中どのくらいのどんな種類の方々がそれでオーワラワなのかは分からなくて、それはそれでこちらには関係も興味もないことなのでいつものように山に入りしてあちらの桜こちらの桜のひらき加減や散り具合ばかりにしか関心はないのだからやはり仕方なくというか、おのずとなにを飲みながら開きはじめた桜を眺めるか、なにを飲みながら散りゆく花を惜しむのかを布団のなかで外の様子をうかがう毎朝をむかえては過ごしているものの日々の天候はこの季節らしい寒暖差つまりは気圧配置の気まぐれにアタマはクラクラで、コンビニで燗のワンカップにするのか冷えたビールにするのか迷いあぐねて、とりあえず両方をたずさえて行くと当然に両方を飲んでしまうことになり、よい機嫌で池をわたす石橋から浅瀬をのぞきこめば茶色く濁った岸部には散りふきよせるピンク色の無数の花びら、その下には黒々としたおたまじゃくしの群れのうごめき。
猪が筍を食べ荒らしたむこうの竹林ではウグイスが我が世の春とばかりの名調子、こちらの山道には赤々と散り敷く楠木の落ち葉と早蕨の異形。
神が細部に宿りたまうのならば、この国にはやどる細部が多すぎてやおよろずでは足りない勘定の春もたけなわ。

以下、お知らせをひとつ。

●『花の会・4月』
4月27(土)、28(日)。
元号が変わろうと、ネコがイヌと呼ばれるようになろうと、週休2日制の10連休だろうと関係なくお待ちしています。

今日のみの 春を歩いて しまいけり  とか。
     坂村不在庵 拝。

2019年3月

節分が過ぎて雨が降ってチョコレートが売れ残って野良猫がしずかになって梅の花が散って冬物の靴下に穴があいていて、どうやらそういう細部から冬はしずかにしずかにもと来た道をもどってゆくのか帰ってゆくかをするようで、朝の空気や渡り鳥たちの枯れ葉を踏む音やおそい夜明けやかたく響く夜の靴音や枝に花鋏をいれる感触だとかを厭うわけではないけれど気分のどこかで飽きはじめていたらしいあれこれに哀切にちかい感傷をもちはじめているのはたしかなことでもあり、そうなると終わりの始まりはやっぱり何かしらの始まりであるのらしくて、山の池の水は増えはじめていて梢には黄色な花が咲きだしていて蕗の芽は塔がたっていて猪の糞は筍で満たされていて、目にうつる木々や草花の芽がこびとの買い物袋のように膨れあがっているのだから、これはやはりすでにと書いてよいくらいに春のはじまりはじまり。
くしゃみをひとつ。

みなさまにおかれましては、春には春になりますように。

以下、お知らせひとつ。

●『花の会・3月』
3月30(土)・31(日)。
春色ファンデでお待ちしています。

知春草生(しゅんそうのしょうじるをしる、とか)。
    不在センセー拝。 

2019年2月

土をぬらす睦月晦日の雨脚はつめたいながらもその雨音はやわらかくしずかで、池の水面やそこに浮かぶ渡り鳥や岸部の枯れ葭にはまるで気づかれることもないように、あたたかな手のひらでなでてすべてのものを寝かしつける誰かの想いのように「降る」と呼ぶよりは「降りつむ」ように景色を冬のおわりの光景へと静かにかえてゆくかに眺められるのだけれど、払暁の野良猫の恋鳴きや、陽あたりのよい斜面に咲きはじめた草花のしっかりと張った針金みたいな茎の感触や、どこでやら初午を知らせる鉦太鼓の音や、くしゃみした誰かの顔みたいに咲ききった梅の花やら、散らかして叱られた双子の玩具箱みたいなスーパーの菓子売り場を眺めていたりすると、意外にも春の訪れというのは賑やかなものであって、節分まえの暗く煮こごって眠ったままのあたまとからだを強制的に目覚めさせるために布団をひきはがす誰かの手のひらのようにも思われる年の初めの最初のおわり。 鬼はそと 福はうち。 以下 お知らせひとつ。

●『花の会・2月』 2月23(土)・24(日)
1月は寒かった。けれども2月は と、春色リップでお待ちしていますが暖かくしてお出かけ下さい。 末筆ながら今年もよろしくお願いいたします。

あちらやこちらで、たくさんの方々にお会いできますように。

坂村不在庵拝。

2019年1月

冬の朝の空はかたく澄明に晴れわたっていて硬度と重さのあるなにかにふれたときの実感が布団のなかの体内にはたしかにあり、それでもほかの季節、たとえば秋や春の朝にかんじられる体温と室温と感情とが蕎麦掻きのようにない混ぜになって胃の府でベタつくようなものがないからだろうか、早暁のどこかで鳴くアケガラスや庭で騒ぐツグミの声は新学期の黒板みたいな空にかたい鉛筆で引っ掻いて書いた未完成な物理学の定理か作曲中の短い音譜のように体内にキリキリと立ち上がってくるようで、なにかこうしてはおられない気分に駆られてついつい早起きをして、からだを雑木林にはこんでしまう。
山道の入り口には今年は南天の実がわっさりとたわわで、ひとのあまり通らない斜面、まだ踏んだことのない路ばかりをえらんで歩いていると至るところに昨夜の鹿や猪の匂いと痕跡があり、ふだん花屋で見るとうんざりしてしまうはずの千両の野生の群れにのウブさに目をみはり、朝日をうける檜に粛然とした気持ちになったり、なによりも一帯を覆い散り敷く山茶花と桐や曙杉の落葉の色彩と香気のあれやこれやらは声なき自然の絶唱であって、今朝も、やはり山は、でした。ワタシマケマシタワ。以下、お知らせひとつ。

●『花の会・1月』
1月26(土)・27(日)。
暖かくしてお出かけください。

〇年末年始は、通常営業しています。埃っぽい街とくだらないテレビに飽きたらおはこび下さい。

今年もいろいろな場所でたくさんの方々にお会いできますよう に。
坂村不在庵 拝。


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