おしらせ

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2017年3月

損壊した家屋は壊れたままに、崩落した山肌は春の芽吹きもしないままに、乾いた厭な夢で夜半に汗をかいて目ざめたり、それでもぐるぐるまわる地上の夜明けはいつともなしにはやくなり日暮れがゆるゆるとのびして、部屋の隅から節分にまいた豆がいまさらみつかる、春は名のみの風のさむさの如月晦日。

水にさしたままにしていた雪柳が古い葉を落としながらやわらかくてあかるい新芽をふくらませ、庭の貝母ユリが蜃気楼のようにたちあがりゆらぎ、竹薮の筍が食料をさがして里までおりてきた猪に食べつくされたおかげで冷蔵庫に若布ばかりが残る春はあけぼの。それと、不思議と今年は不作のふきのとう。

早咲きの桜がまじめ顔に一列にならんで花をひらきはじめ、日陰の梅がヒヨドリの飛びたつたびに雪のように満開の花びらをはらはらちらす卯月朔日。のこるは鶯。

目に春はあり身に春はまだ添わず
とか。

以下 お知らせ二つ。

●『花の会・東京』
ひさしぶりの東京での「花の会」になります。
各日の開催時間帯内の茶室入出場は自由です。
※詳細は別記

●『花の出稽古・福岡』
4月22(土)・23(日)。福岡市薬院のギャラリー「望雲」にて。

東や西でお待ちしています。

不在。

2017年2月

おにはそと ふくはうち。
深夜に、冷たく煮こごったセメントを舐めて夜明けまでの空腹をみたしたつもりで朝をまつような昏い暗い1月のおわり。
冷たい深夜の泥中にひそむ田螺みたいに首と心をすくめて春の水がうごきぬくむのを待つだけの硬いかたまりになって、うごかない水のながれにうごかない触角のうごきはじめる冬のおわり、春のはじまり睦月朔日。

ビル・エバンスのピアノは冬と春のあいだのとくに冬の扉をふかく時にしずかにたたいてゆくので、雪にとざされた山小屋の深夜のノックの音にもきこえるし心のなかの暖炉の薪がはぜるようにも聴かれるので春を心待ちしている自身には聴かないではいられないところもありながら、冬が身に付いた耳はいつでもたじたじとさせられるところが、ある。

とは言っても、山を歩けば春まじか。
つめたい朝の空気のなかにも踏む土のやわらかさ、木の芽のやわらかさ、苔むす朽ち木にさす日差しのやわらかさ、土にかえる落椿のやわらかさ。
横たわりながら朽ちるばかりの水仙に逝く冬を惜しむ昨日今日。惜春ならぬ惜冬。ビル・エバンスの曲ならPeace Piece 。

脈絡のない文章で失礼いたしました。おにはそとふくはうち。

以下、3月の「花の会」のお知らせ。

不在拝
●『花の会・東京』 来春3月18(土)・19(日)の2日間、上野東京国立博物館庭園内の茶室群にて、「花の会」を主催します。
詳細は決まり次第、HPにて。

 

2017年1月

あけましておめでとうございます。

…なんて、もちろん年末にこれを書いているのでなんの実感もありません。
渦をまいて流れて吸い込まれてはまた満たされてゆくトイレの水を眺めては浮世の明け暮れと自身のゆくすえを思う、今年はあたたかな歳の末。
店のこまかな掃除をして指にケガをするのも、牛乳の消費期限を気にして仕入れをするのも、花鋏を手入れしながらゆく年を想うのも、蕎麦を食べるには塩とわさびか大根をおろすのかと悩んでみたり、柚の香は年をまたぐとにわかになにかを喚起させるちからを失わせるのはどうしてだろうと考えてみたりなんなりの餅つきあとでやわらかく痛む右腕とすごす、いろいろあった一年間のおわり。
本当にたくさんの方々にご心配とご助力を頂きました。神さまサンキュー。ご先祖さん毎度どうも。みなさまありがとうございました。

なんて。ここまで書いて、あらためて、みなさま あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

坂村不在庵拝。

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