おしらせ

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2021年10月

こちとら行ったこともないような行くこともごめんこうむるはるか南の海上とかいう漠然としたうろんなところで渦巻き状のぐるぐるしたけしからないものが片目ちんばのくせしてなのかそのせいなのか調子にのってどんどんぐるぐるし始めるとにわかに足指やら手指やらが孕んではちきれるくらいに腫れあがり腫れあがるということはお飲み物にお砂糖をいれるとあまくなるのと御同様で眠たくてたまらない。いったい痛くて眠たくてたまらないなんぞというのはこの世の不合理のひとつにはまちがいなくて朝からお昼には蕎麦をいただきたくてしかたなくてそうしたくてそうしようと蕎麦屋の暖簾をくぐったとたんに胃袋のやろうが勝手にカツカレーを注文してやがるようなものなのだからご注文も取り消さずご注文のカツカレーにはお箸をつけることなくお店ではたらくのみなさまの不興をかわずお代ははらって双方満足でございましたごちそうさまでしたまたいらして下さいありがとうなんてことはまあ無理なこととおなじでひどく眠たくてたまらないなんてのはままならない。
そんなこんなもいつもどうりの風たちぬいまは秋。

以下 お知らせ。

●『熊本日日新聞連載・10月』
10月23日(月)掲載予定です。

●『花のための器』展。
11月9日(火)~15日(月)。

東京、青山のDEE,S HALLにて陶芸家・寒川義雄さんの器に花をいけます。もちろん毎日在廊します。毎朝歯磨きもします。おやつも食べずみなさまの御来場をお待ちしています。

         不在拝。


2021年9月

どうやらあんまり暑いせいなのかあちらやこちらのみなさまにおかれましてはサルやらウマやらサカナのまねごとがはやっているようでサルやらウマやらサカナはお酒のおつまみにくらいしか考えていないお行儀のよい身としてはいつものとおりにお行儀よくズボンの裾をからげてビーサン履きで風の涼しいはやい朝の山をあるくのだけれども風の涼しいはやい夏の朝の乾ききった山の道は目も口もうかうかとあけてはいられない足もとめてはいられないほどの羽じゅんじゅんと雨降り止まずあたり一面くらいばかりの空模様がよいのか割り箸でモナカの皮を営々とひろってあるいてないといけないような夏空のほうがましなのだかはしらねどもいつのまにやらセミのしぐれる午後もなくなり川たいらかにして人心をおびやかす夜もなくなりしてだからといって風の音にぞおどろかれぬるほどのしみじみとした早暁の詩もまだまだないようでサンマはたかくてソバはまずくてビールを飲みたいやらお湯割りをたのみたいのか判断もつかずはなれずそもそもがそういうものをいただく機会がゆるされないのをゆるすことすらゆるされないようなのでいくらサンマがソバがお安い御用になりにしも家にあれば そんなものは草枕旅にしあればといってみところでせいてはことをなんとかと云うようだからお行儀よくお利口をきめこんでみてもあれもどれもこれすらも中途半端な季節。じぶんのあくびの出るを意識せずにとめることすらができないのであるならば、それならひとはじぶんのあくびにでさえ生涯おいつくことすらできないのであるんであったらあくびをしてうつらうつらしているうちにじぶんより先にじぶんのあくびが秋の音にぞおどろかれぬるであろうからきっとその頃にはサンマもソバも御時世であろう秋もたけなわであろうことをあくびしながら御待上候うちにあいやどこかしらかカボチャのおばけの街なかにはびこりはじめる気配。

以下お知らせ。

●『熊本日日新聞連載・9月』
次回は9月30日(月)掲載予定です。

      さかむら拝。


2021年8月

どうやらあんまり暑いせいなのかあちらやこちらのみなさまにおかれましてはサルやらウマやらサカナのまねごとがはやっているようでサルやらウマやらサカナはお酒のおつまみにくらいしか考えていないお行儀のよい身としてはいつものとおりにお行儀よくズボンの裾をからげてビーサン履きで風の涼しいはやい朝の山をあるくのだけれども風の涼しいはやい夏の朝の乾ききった山の道は目も口もうかうかとあけてはいられない足もとめてはいられないほどの羽虫にとりまかれてしまうので歩いているというよりも逃げるようにして山からおりてくると街なかはやっぱりサルやらウマやらサカナの大売り出しの中で道化のいないサーカスなのやら馬主のいない競馬場なんだかいよいよわからないことないことになっているんだけれどもつくづくと見わたせば道化と馬主しかいないようにしかみえなくなくなってくるものだからそれならば今朝も羽虫にたかられながら乾いてしろい山の道を歩いたほうがいつもどおりでよろしかろうと山の道をあるくのだけれどもやっぱり山にいても街なかにいてもどちらにしても目も口も開けてはいられない暑いあつい夏の日盛りのすぎた暮れ方には口あけ
時分の屋台で屋台のおでんをお行儀よくいただきながらだらしなく時間をすごしくらしたい。

以下、お知らせ。

〇臨時休業
7月31日(土)~8月1日(月)。

●『熊本日日新聞連載・8月』
8月30日(月)掲載予定です。

あれやこれやで夏本番は秋のはじまり。みなさまにおかれましてはよい夏休みになりますよう に。

  みなさま まいる 不拝。

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2021年7月

雨があんまりふらなくて蝉がなかなか鳴きはじめなくて飲み屋もなかなかひらかなくてどうでもよろしいあれこればかりであふれていて切実なあれこればかりがなくて暑くてねむたいばかりだからぐうたらとねむたいままに眠っているとあたりまえにやらなければならないこれこれが波打ちぎわのゴミみたいにたまってくるものの時節柄のなんとかでねむたいうえに痛くてたまらないのであちらもこちらものばせておける用事は金太郎飴みたいにながながしくのばしてはおくものの 結局はポキンと折ったら金太郎しかやっぱり出てこないのであるならばいっそのこと布団からでてうらうらと歩いていると河原をあらう小石みたいなしゃんしゃんしゃんの鈴の音と大あくびみたいな茅の輪かな。
しゅくしゅくとした善男善女にまじってしゅくしゅくと茅の輪をくぐり抜けてかわいいほうの巫女さんにしゃんしゃんしゃんとしていただきしゅくしゅくと境内を出でれば今年の半分がおわり今年もあと半分のはじまりのおわり。
富士の山開きの縁日で牛のベロの塩焼きを昼寝の醒めぎわの夢ではレモンでたべてはいたものの屋台のおでん屋でまずは鮹のぶつをわさびと醤油でいただきたい寝ざめの午後三時。

●『熊本日日新聞連載・7月』
7月26日(月)掲載予定です。

みなさまにおかれましては時節柄御自愛ください。

           不在拝。

2021年6月

ある朝の夢の醒めぎわにこれは映像としてではなくて喩えてかくと家庭用8ミリのちらちらちらふつりとおわる瞬前のあかりのなかでみたなにかの残像の食べかすみたいにまたたかくまの文字のつらなりとして、くちなしのはなのひとつひらく夕暮れの路地をあるくこども とだけあってそれで目がさめたもののぜんたい意味のかけらもわからないのだけれどたしかにそろそろくちなしの花ひらく季節であろうから近隣のどこかからのにおいが寝覚めの嗅覚にとどいた連想のせいの夢かしらと暁闇の窓をうすくひらくまでもなくあめつちは梅の雨にざんざとふりこめられているのだから正体だか本体だかなんてきっと下水にながれてしまってわかりようもないものなのだからまあまあ時節柄の夢かしらんともういちど寝床にあたまをもどしてはみるもののくちなしのにおいというのは白いペンキのついた刷毛でいたずらに顔をなでられたようななまやかさがあっていちどそれを思いだしてしまうと顔についたペンキを洗いながすほかないものなのでそれでもだらしなく寝床でうつらうつらしているうちに顔中を白粉した眉のない女の襟元にしのばせたくちなしのにおいが女の白い顔いち
めんにひろがって目鼻のない白いにおいばかりの人の形をしたなにかになってくるのでこわくなってやっぱりシャワーをあびて何もついてはいないはずのなにかを洗いながしてみるもののぬらりと顔をはいたような感触ばかりは皮膚ではなくて細胞にあぶらっこくのこっているので取りようがない。
しろいくちなしの。

以下、お知らせ。

●『熊本日日新聞連載・6月』
次回は28日(月)掲載予定です。

           不在拝。
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2021年5月

いろはにほえどちりぬるをかつをのたたきほととぎすかわずなく田につばくろめ 地震かみなり火事おやじあおくふくらむビワやウメ。はつなつの風になりたやはつなつのはつなつの風わたる湖水は張りかえたばかりの障子紙みたいにしらじらとたいらかであるものだからはるかむかしにながめたことがあるようなないようなだれかのしろくてたいらかであったはずだけれどいまはどうであるのかもうわかりようもしりようもないいつかの光景をおもいだしたりおもいだしながらもういちど眠ってみたりすなるわがよたれそつねならむ。 たとえばここによく冷えたグラスがあってよく冷えたグラスであるしかるべきあいだにそこになにがどんな酒がそそがれるのかをまっているながめている時間が酒をのむための時間 のすべてであるのだとしたらというか厳然としてそうであるのだからそうであるのならば、はつなつの風のつよくふくつばめ舞うこの季節にこそはことに夕暮れまえの時刻にはうつくしさを完成させるまえのうつくしさが冷えたグラスのなかにはあるのだから、まずは冷えたビールをのみたいいもみざるまに。 以下 お知らせひとつ。

●『熊本日日新聞連載・5月』 今月は5月31日(月)掲載予定です。    

坂村不在庵敬白。

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2021年4月

はらはらはらはらの桜の花びらにどきどきもわくわくもなくしずかにしずかにながめやるこころにうかぶうたかたはむすびもひらきもしないままに見えないかたちでなんとなくとっちらかってはいるようだけれどだからといって埃をかぶっているようでもないみたいに眺められていつでものめるからいつかのもうとしたままの冷蔵庫のなかの頂戴ものの酒だとかそのうちにとおもいながらそのうちにがいつまでもやってこないカバーをしたままのてもとの本だとか伝えそびれたままだけれどつぎにあったときでいいやが続いている話みたいであるようだけれどどうやらすこしそれらとはすこしちようすがちがっているようで去年今年にまいちる桜のはなびらツバメの巣こころにうかぶうたかたはかつきえかつむすびてしかももとの水にあらずんば年々去来の花を忘るるべからずなんであればさて今夜は、今年の今夜の初鰹を辛子醤油でたべたい。

今日のみの 春をあるいて しまいけり。とか。

以下お知らせ。

●『熊本日日新聞連載・4月』
次回は26日(月)掲載予定です。

●『古本タケシマ文庫展』
好評につき店内一部常設になりました。

            不在拝。

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2021年3月

ひゃあひゃあひゃあとつもるつもりもないような粉雪が舞ってやっぱりつもらなかった翌朝にはあたたかな陽差しがうららかに照っていて朝ぼらけに遠くから聞こえてくる始発の路面電車の音がちんちんごうごうと枕元にとどいて軒の雀や屋根の雀がじゅくじゅくじゅくと鳴くのでもう春ですなとびっこをひきながら外に出るとぴゃあぴゃあと冷たい風がにわかに吹きはじめて空はかきくもり黄色い砂とか砂色の灰とか目には見えないご近所からのなんちゃらとかで街もかきくもり鼻水はでても声がでなくて足が痛いものだから山も歩けなくていらいらもんもんとばかりしているということは当たりまえにお酒ばかりをいただいて世の無聊とこの季節らしい空の乱調をなぐさめるものの乱調も調とは言ったものだと足の痛みもそのままにびっこをひいて自転車に乗って山にはあがれないのだから野にでるとあれよと嵐はやんでいて今年は木の花も草の花もなにもかもが近年ではまれにみるゆたかさなのでおだやかな斜面に寝ころげてなぜだかそこだけは不思議とほこりをかぶらないでいるモクレンの咲き初めを見あげながめるうらうらとてれる春日にまだ雲雀はあがらない春昼午刻。

●『タケシマ文庫古書展』
3月4日(木)~。
熊本市内の古書店タケシマ文庫さんに出店いただいて、いつもの骨董屋のナリをひそめて店内古本屋になります。はたきと鼻眼鏡でお待ちしています。

●『熊本日日新聞連載』
今月はたぶん29日(月)です。

          不在拝。

2021年2月

くらいくらい節分前の逢魔が時の空はたてきらない夕方の晩飯前の風呂みたいにあたたかい流れとつめたい固まったのとがない交ぜになって いて用心してはいるもののやっぱり腹だたしいただのたてきらないぬるま湯でたてきらないことに腹をたてたところでおさまらない腹をへこませていただく晩飯前のぬるま湯はやっぱり腹だたしい。
足が痛いのは馴れてはいても痛いものは痛いものでしかもそれがご丁寧に御両家両おみあし揃ってとなると挨拶にこまるどころかあわてて角の酒屋に無心にはしるとか料理屋さんに仕出しをたのむとかいって席をはずせないものだしだからといってこちらも威厳をていしてやあやあ御足労戴いてあいすみませぬの挨拶も痛くてままならないのだからここはいっそ居留守をつかって痛みで洩れる青色吐息でろうそくの灯を吹き消して間抜けな組み立てロボットよろしくよろよろふらふらとあちらにぶつかりこちらを倒したりしているとこんな時間まで店にいるとはなにごとかと国防婦人会やら憲兵だとかに叱られるのだろうだけれどもこちら様にとっての喫緊の有事はきってもきれない両足の痛風の激痛にあるのだからなにはさておき痛いものは痛い。痛さのなんたるやを語るとは隔靴掻痒に似て非なるものでこちとら靴すら履けないのだから設問のたてからから間違っていも比喩や暗喩なんておやさしいもので表現はできないのなんだから痛いものは痛いとしか書きようをしらないのも言語表現の限界をこれまさにおのずと知らしめるものでもあればこその痛さのこれも表現の困難をしめす功徳でもあるのかし。そもそも痛みについてかたるのは一時の気の迷いとしての恋の瞬間や向こう見ずの青春期の煩悶の渦中にあるものだけが語れるものでありつつも結局はなんだか結論もでないたぐいのぐたぐたであるようなんだから比較は証拠にはなりえなくて痛いものは痛いとしか書きようもなし。

やあ 痛いわね。

●『熊本日々新聞連載・2月』
今月は22日(月)掲載予定です。

鬼はそと 鬼はそと。今年もよろしくお願いいたします。

     坂村不在庵拝。

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2021年1月

つめたくてかたい冬の暁闇にかぁかぁと明けカラスが朝をつげてじゅくじゅくじゅくと雀が鳴きながら瓦屋根からはいだしてきてじゅくじゅくじゅくがちゅんちゅんちゅんに変わる頃に空があらかた明るんでくるので眠ってばかりもいられなくなって鳥とはちがう人間は寝ておきたそのままの姿では1日をむかえることのできないもどかしさに布団からぬきあしさしあしはいだしてあれを脱いでこれを着てしているうちにヒヨドリムクドリがそろばんを奏でるようなにぎやかさで庭先をゆきすぎてそうした頃には朝焼けが朝日になっているものだから出遅れた気分になるのでいつも通りのいつもの時間に床をあげるのだけれど森ではない町中がやけに森閑としているのはなんだろうと考えて、本日は元旦なり。
年の始めのためしとて年末についた餅を晦日に買ったビールで早朝からいただくのは期限内に支払いをきちりとすませたような誇らしさというか何やら晴れがましい気分になるものでそんなことはなんにも自慢にはならないのは皆さまご承知のとおりでしょうが元旦の朝の焼きたての餅をお醤油につけたときのパリパリとした音とビールのプシュしゅわしゅわの晴れやかさこそはおわりなき世のめでたさよ。

以下、お知らせ。

●『熊本日日新聞連載』
あれれ。いつだったかしらん。たぶん月末の月曜日です。
カレンダーもスケジュール帳もスマホも無いのですみません。でも書きまあす。まずは原稿用紙買ってきまあす。

●『かとうゆめこ展・声』
~1月11日(月)。
会期中はたぶん休まず営業しまあす。それくらいよい絵なのです。

というわけで、今年もあちらやこちらでたくさんの方々にお会いできますよう に。

  不在庵通信正月号。


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